星野泰啓理事長より
社会福祉法人よるべ会
理事長
星野 泰啓
〝小田原生まれの偉人の足跡〞
障害者支援センター「ぽけっと」そばの小田急線栢山駅から徒歩15分くらいのところに、二宮金次郎(尊徳)の生家が保存されている。昔、読書しながら薪を背負って運ぶ二宮金次郎像が小学校に置かれていたのを覚えている。しかし、戦時中の金属資源不足から供出されたり、戦後の戦時教育の排除や、子どもが働く姿への疑義、歩きながらの読書は危険――等の時代背景と共に見られなくなってきた。
7月8日付の日経新聞『移ろう二宮金次郎の実像〜現代社会に「分度」の思想を』のコラムから、ご当地小田原出身でもあり改めてその実績、教えを読み直す機会となった。
金次郎は1787年に比較的裕福な農家に生まれたが、酒匂川の氾濫で田畑を失ったり、早くに父母を亡くして叔父に預けられての苦難の生活を余儀なくされた。学習に励むも読書の灯火を許されず、しかし挫けず昼間に薪を背負って読書に励み、空き地に菜種を植えて油を採り灯火を作ったり――と勤勉と倹約に努め、やがて家を再興し、さらに川の氾濫を防ぐ村づくりから、藩財政の建て直しを託される等々の実績を重ねた。また、各方面から地域財政の立て直しを頼まれ、抵抗や挫折の苦労にあいながら建て直した村々は615か所にのぼるとのこと。1856年に70歳で亡くなられたが、それまでの事績を通して生まれた教えが社会的評価となり、実践哲学として今も活きている。
「道徳なき経済は大罪であり
経済の伴わない道徳は寝言である」
「努力する人は希望を語り
怠ける人は不満を語る」
「可愛くば五つ教えて三つほめ
二つ叱って良き人となせ」
…等々頷くばかりだ
コラムの「分度」の思想とは、小田原藩の財政再建を託された時、金次郎は帳簿を精査して置かれた状況をわきまえ、それに応じた財政(生活)を執る(送る)こと、すなわち収入に応じた基準(分度)を設定し、その範囲内で生活することと説いた。そこから、現在の日本の財政状況を鑑み、その場逃れやツケの後回しで取り繕うことばかりの今こそ必要なことだとコラムは言っている。
生家隣接にある尊徳記念館を訪ねて学びなおさねばと思った次第。